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zoom RSS ワイン旅行ブログージンファンデルのルーツを求めて

<<   作成日時 : 2005/10/04 22:47   >>

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ジンファンデルの先祖がクロアチアだった?!

(その1)ジンファンデルという品種とは?
カリフォルニアでもシャルドネに次いで第2の栽培面積を誇る品種。
暑いとレーズン化し日焼けするので、少し涼しいところが良い。海岸沿いのリージョンII、IIIが、最高の辛口を生み出す。リージョンIVのセントラル・ヴァレーでは、良質のポートタイプを生み出すところもある。
熟期は中期の初め。

問題は一つの果房の中での果粒の熟し方が不均一であること。レーズン化しやすいこと。ロット。
ホワイトジンファンデルといったロゼから、タンニンがしっかりした赤ワインまで多様なスタイルを生み出す。


(その2)ジンファンデルはどうやってアメリカに来た?

以前は、アゴストン・ハラジー(ブエナ・ヴィスタ)が欧州から移植したヴィニフェラ種のコレクションの中にジンファンデルも入っており、1860年頃にハラジーによりもたらされたというう説が主流であったが、現在有力な異説がでている。

それはワイン歴史研究家のチャールズ・サリヴァン(Charles Sullivan)の研究で、これによるとジンファンデルは、ウィーンのシェーンブルン宮殿のコレクションのひとつとして持ち込まれたという(当時のオーストリアのすべての品種が含まれていた)。1822年から29年の間に、ロングアイランドのぶどう栽培家のジョージ・ギブス(George Gibbs)が米国に持ち込んだ。1829年にはロングアイランドの別の苗木業者のカタログに「Zinfardel」という名前が初めて掲載されている。1832年にはボストンの苗木業者が「Zinfendal」という名前で宣伝している。その後、Zinfindal. Zinfendelなどという名前で、ロングアイランドからボストンにかけての地域で販売されていた。
1846年にはぶどう栽培専門家アレン(J.F.Allen)が、ジンファンデルについて初めて学術書で言及している。

東海岸から西海岸のカリフォルニアに到着したのは、ゴールドラッシュに沸く1852年。ぶどう栽培家のマコンドレイ(F.Macondray)が、ナパに住む友人のために、他の品種とあわせて持ってきた。

その数年後、この友人は、台車2台分のジンファンデルの切穂(cuttings)をソノマのHorticultural Societyという会社に売っている。その年の冬の寒さは厳しく、ほとんどのぶどうが凍ってしまったが、ジンファンデルは生き残ったという。

この1860年代はじめから、名前が Zinfandelとなった。ソノマやサンタ・クララ、シエラ・フットヒルズで、すぐれたワインとして認められるようになった。


1878年から1889年にかけて、カリフォルニアのワインブームの中で、最も栽培面積が拡大した品種となった。

その後1890年から1900年の北部カリフォルニアを襲ったフィロキセラ禍の中でも、台木に耐性があったために生き残り、その後の畑の再建の中で、栽培面積が増え、カリフォルニアの主要品種へと生長していく。


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